素晴らしいコメディアンでした

だいぶ間が空いてしまったが、また更新していこうと思いパソコンを開いた。

タイトルを読んだらおわかりいただけるだろうが、今回はザ・ドリフターズ志村けんさんのことについてだ。

 

先日、皆から愛される志村けんさんが逝去された。

御歳70。

まだまだご活躍されることを信じてやまなかった我々にとって、本当に突然のことだ。

 

天国にいらっしゃる長さんもきっと驚かれただろう。

ドリフのコントなら頭をバシンと叩いて「なーにやってんだ!」と喝を入れているはずだ。

もしくは竹刀を振りかざして「戻れ!」と追い返そうとするかもしれない。

 

長さんの時だって、確か映画『踊る大捜査線』シリーズの特別編『交渉人 真下正義』が放映されるという話の最中で「長さんも出るのかなぁ」なんて思っていた矢先の急逝で驚いたもんだ。

志村けんさんも冠番組は続いているし、今年も色んなお仕事に精を出そうとされていたと聞く。

 

なんでかなぁ。

なんでまだまだ活躍を見たいと思える人が居なくなっちゃうのかなぁ。

 

私だけでなく、きっと沢山の人の中で大きな存在だったはずだ。

私はその訃報がニュースに挙がった時、「嘘だ。嘘だ。」と勝手に声が出ていた。

愕然として力が抜けてしまった。

芸能人といういわゆるテレビの中の人だから、実際にお会いしたことはない。

知り合いだったわけでもない。

そんな遠い存在なのに、この喪失感は何なのだ。

 

どんな番組でも、この人がいれば面白くなる。

見ようと思っていなかったけれど、志村けんさんが出ているなら見ようかな。

あの人がいればだいじょうぶだぁ。

そんな安心感のある方だった。

 

「またドリフで音楽やコントをやってくれないかなぁ」などと思っていたら長さんが亡くなり、「またバカ殿やるかなぁ」と期待していたら志村さんが亡くなってしまわれた。

 

しかも今回は世界で猛威を振るうウイルスが原因。

何か少しでも変わっていれば防げたんじゃないのか。

そうしたやるせなさも相まって、非常に悔しい。

 

まだ事態は収束していない。

感染者数も増えている今、身近にいる人も既にウイルスを持っているかもしれない。もしかしたら私も・・・

そう思って行動しなければならないのだと骨身に染みた。

 

私は家族が大事だ。
友達が大事だ。
恩ある方々が大事だ。

 

だから、自分でできる感染予防策は必ずやる。

自分が感染しないようにすることは勿論、万が一感染していたとしても他の誰にも移さないようにしたい。

またそれと同時に、デマや不確定な情報が横行してパニックを引き起こしかねない現在、それらを安易に鵜呑みにせず自らソースを調べて判断する必要もある。

これらは全て自己責任なのだ。

パニックは避けたいが、油断している場合でもない。

みんなが危機感を持たなければならない。

 

我々が住む日本は強制力のある指示を出すことが法的に不可能らしい。

ただ、それがなくとも一人一人が気をつけようとすればいい話だ。

強く指示されなきゃ自粛も予防もできない人自身に問題があるのだ。

 

自分に関係のある話に思えない人は多いだろう。

だが根拠も確証もない「大丈夫」という意識は捨て去って欲しいのだ。

自分さえ良ければいいならば仕方ない。

だがそれは、自分さえ助かればいいということも含めているのではないだろうか?

発症しても元気いっぱいだと思っているのかもしれない。

自分は健康だから助かるとタカを括っているのかもしれない。

それは誰が保証しているのだろう?

 

「自己責任だからいいじゃないか」という声も聞く。

それは自分自身にだけ危険が及ぶ場合の話だ。

感染を広げ他人を危険に晒すことに対して責任が発生しないというのは非常に浅はかである。

そうした身勝手さが何を招くのかは想像に難くないはずだ。

 

我らは今一度気を引き締めなければ。

身近であろうが遠い国のことであろうが、悲しい出来事は起こってなど欲しくはない。

 

しかし悲しんでばかりいたら志村さんは嫌がるだろう。

ザ・ドリフターズのメンバーが志村さんの追悼番組にて仰っていたが、笑って見送るのが彼らにとっては良いのだ。

長さんを見送る時も活躍していた頃の話をして盛り上がっていたが、非常に彼ららしいなと思ったものだ。

 

悲しいのは当たり前だ。

寂しくて泣きたくもなる。

だが、忘れちゃいけないのは彼らはコメディアンだ。

人々を笑わせたい、と身体を張ってこれまで進んできたのだ。

そんな彼らの気持ちを踏みにじるわけにはいかないし、その心意気を忘れてはいけない。

 

亡くなったばかりの故人への感謝の気持ちは不謹慎だと言う人の意見は理解できる。

だが、その苦しくて切ない気持ちだけしか持ってはいけないのか?

そうじゃないだろう。と私は思う。

数十年間を共にしてきたメンバーが笑って見送るのならば、志村さんのおかげで笑顔に溢れていた我々も笑って見送った方がきっと喜ぶ。

泣くのは見えないところでいいのだ。

別れを惜しみ、志村さんに貰った笑顔で見送りたいと私は思う。

 

志村けんさん、最高の笑いをありがとうございます。

心よりご冥福をお祈り致します。

 

 

 

作成者 あかね