『2020年の大晦日』と言われると特別な日になる不思議

「今年も残りわずかですね。」

というセリフは色んなところで聞くだろう。歳を重ねるごとに何十回でも何百回でも聞くことになるが、それでもついつい言いたくなっちゃうし、聞くとしみじみと思うところがあるものだ。まぁたまに何にも無い年もあるが。

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ただの大晦日なら今までも沢山あったが"2020年の大晦日"というと1度きりしかないのだ!
なーんて言うと途端に大事にしなきゃと思うようになる。

 

変わらぬ日常の中に特別感のある日があるとついはしゃぎたくなるものだ。何故なら淡々と過ごすだけではつまらないからだ。山あり谷ありの中で気分の浮き沈みがあるからこそ、その差が人生に刺激を与えているのだと私は思う。そうじゃなきゃやる気なんて出やしない。

 

そうした中でたまたま谷が続くこともあるし、沈んでばかりでやるせなくて疲れてしまうこともあるだろう。だがそこで自ら沈みっぱなしだとせっかくの山を見逃してしまうかもしれない。

 

つまらない人生だと思うなら、そのつまらない道を選んで進んでいるのは自分なのだ。親等がそうしたレールを引いている場合もあるが、変えたいと思った時に行動に移せるのは自分以外の他にはいない。

 

「大晦日だ!正月だ!」と言って自ら楽しみを作り行動に移してみれば、それまでとは景色は変わって見えるかもしれないのだ。

例えばくだらないとか子供っぽいとか、そう思われるかもしれないことこそ大人になってから全力でやると楽しかったりする。

 

だから今年も前年と同じようにトランプやUNOや人生ゲームをやりたい!と思ったが、昨年の親族全員体調不良の次はコロナである。集まるのは危険だということで今年は会わないことになった。さみしいが、家族や親族を危険な目に合わせたら悔やんでも悔やみ切れん。それに今はテレビ電話というハイカラなものがあるのだから、お互いの顔を見ながら飲んだり食べたりできればいいかなと思う。

 

ということで年末年始は自宅でのんびり過ごすことになった。とはいえせっかくの大晦日。それらしいことを何かしてみようではないか。

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晦日といえば「一年の振り返り」であろう。アルバムを引っ張り出してもいいし、スマホの写真を見返してもいい。私はこのブログが日記のようなものなので、読み返して2020年は何があったかな〜と思い返してみようと思う。

 

と、その前にまずは感謝である。

(去年も同じようなことを言った気がするが)大晦日でもお仕事を頑張っている人は大勢いて、その人たちのおかげで楽しく買い物をしたりお店や交通機関などを利用できているのだ。

今年も彼らへ、ありがとうございます。

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さて、本題である。

思えば今年の1月最初の思い出といえば・・・
肩凝りで泣いた話だ。いきなりの悲劇である。何故新年早々そんなことになったのかは謎だが、まぁ体がガタつくのは仕方のないことでもある。

 

その日私はルンルン気分で東京スカイツリーへと繰り出していたのだが、突如肩と背中に激痛が走り悶絶して動けなくなった。水族館だのスイーツに一人ではしゃいでいた中で、いきなりどうしようとないほどの痛みに泣きながらマッサージ店に駆け込んだ・・・という思い出だ。それ以降も痛みに悩まされつつ今年も終わりを迎えそうになっているので悲劇としては続いていることになる。

 

マッサージ師さんも私の凝りが固すぎて悪戦苦闘し、外から押すだけではダメだと思ったのかストレッチ法も教えてくださった。

それもこれも普段から体を動かしておかなかった自分の責任である。それを痛感しつつ、痛みで七転八倒しながら「病気じゃないだろうな・・・」などと心配になったものだが、結局治ったり治らなかったりしているので今のところ何ともない。と言っていいのかな。

 

しかしその状態から察するに、もしかしたら尿管結石とかなのかもしれないのでそれ以降水分摂取には気をつけている。そういえば当日はコーヒーや甘い飲み物ばかり飲んでパンケーキをパクパク食べてたから、そりゃあ水分奪われるよなぁ〜と今更ながら思った。

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 ↓ その時の様子はこちらから

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さてそんなハプニングのあとは良い思い出がある。幸と不幸は長い目で見ると交互に来るものらしいので、今度は幸せの番である。

それは那須高原にあるチーズガーデン本店とその横にある白さぎ邸へとお邪魔したこと。こんなに感激したお店は他になく、ここはもうずーっと通いたいお気に入りのところなのだ。

 

道中の自然豊かな景色。

澄んだ空気と爽やかな青空。

広い敷地に大きくて素敵な建物。

美味しい紅茶とチーズケーキとチキンステーキ。

「素敵」を詰め込み過ぎて目眩がする。

 

というようなことを以前のブログ「チーズガーデンで優雅なひとときを」でも言った気がする。写真も載せているのでそちらも是非見てほしい。美しい店内でいただくことができる数量限定のカリッとジュワッとしたチキンステーキがもう・・・もう・・・食べたいっ。

 

優雅なランチやティータイムを楽しむならここ!そんなお店を見つけられて私は幸せの絶頂を感じたものだ。顔と共に財布が緩んでしまうのは困るが、こんな幸福を感じられるならそれでいいのだ。そしてお土産には御用邸チーズケーキとガレットは欠かせない。

 

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 ↓ 初めて訪れた時の様子

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そして1月末だが、またもや私は困難に立ち向かうことになった。それは、ミチタさんの動画撮影の為にとある雪国に訪れた話だ。

 

思い出すだけでゲッソリしてしまう。重い荷物を背負って汗だくだくで山道を歩いているうちに陽が傾き、着いた先(日陰)で凍えながらバスを待ち、やっとたどり着いたお宿ではご主人が不在。キンキンに冷えた玄関先で唯一ついていたストーブにしがみつきたい気持ちを抑えつつご主人が戻るのを待ち、寒すぎて力尽きそうになったのだ。

 

と言っても不在だったのは我々が伝えた時間より早めに到着した事と、ご主人に拠のない事情があったのでタイミングが悪かっただけだ。それなのにお夕飯を買ってきてくださったり、他にお客がいなかったのもあって好きな部屋を使わせてくれた。とはいえ冷え切った体はなかなか暖まらず、浮腫んだ体に食い込んだタイツが原因でお腹は痛くて散々だった。多分私もミチタさんも藤木くんみたいな顔をしていたことだろう。

 

それでも次の日に見た富士山は雪景色と青空が相まって非常に綺麗だったし、素敵な写真を撮れたので満足である。

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 ↓ 綺麗な景色の裏側には凍えるミチタさんとが・・・

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3月になると、コロナウイルスの脅威がいよいよ我々の生活を脅かしてきた頃。マスクは店頭から消え失せて、ニュースを見ては心配になっていた。私は元々ストックがあったのと手づくりマスクを数年前から使っていたので難を逃れたが、手に入らない人は困ったことだろう。

 

今では正直マスク効果はインフルエンザの流行を抑える結果を出したとは思うが、コロナウイルスに対して非常に有効かと言われたら・・・どうなんだろう?もう1000人に届きそうな感染者の方々はきっと飲食店とか満員電車などの換気の難しい場所での感染なのではと私は考えており、マスクが意味のないものとは思わない。

 

でもこれだけ消毒やマスク着用を徹底しても広がるのであれば、ソーシャルディスタンスと換気の面が不十分なのかもしれない。インフルエンザは抑えられても、コロナウイルスはそれほど感染力が高いということだ。

 

それに飲食店でも仕切り等はついているものの、お客の入れ替わり時に確実に消毒をしていないお店もある。事実、食器を下げながら「こちらにどうぞ」と促された時は店頭にあった「消毒の徹底!」という宣言は一体どこへやらと突っ込みたくなったものだ。お客が退店した後に必ず消毒しなければ意味がないと思うのだが。

 

ということで持参したウイルス用のアルコール除菌でテーブルやらメニューやら押しボタンを拭いて利用した。お店に任せっきりとか責任を押し付けるくらいなら、自分でしっかり除菌活動すれば良いのだ。なんでもかんでもお店のせいにはならない。自分のことを守りたかったらそれくらいすれば良いだけなのだ。

 

そんなこんなでコロナウイルス流行の歯止めが効かない今、これらの問題は来年・・・とある専門家によれば何年も続くものとなるのだろう。いつになったら落ち着くのかわからない状態で年越しをするのは残念ではあるが、身近な大切な人達や自分を守る為に引き続き気を引き締めなければと思う。

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その後4月以降はコレ!と言った事は思い浮かばない。名古屋グルメを楽しんでいたら台湾ラーメンをひっくり返したり、美しい庭園でのんびりできたと思ったらチェックアウト時間を間違えたり。そんな失敗はよくあるのでそうした細々としたことはあったものの、なかなか大きな出来事はなかった。

 

余談になるが、台湾ラーメンもエビフライも天むすも絶品だしホテルも綺麗だったので、コロナがおさまってから名古屋には是非また行きたいと思っている。味噌カツに関しては10年ほど前に一度だけちゃんとしたお店で食べたが、今年はスケジュールの関係と胃袋の容量により行けなかったのが悔やまれる。次は美味しい味噌カツ丼のお店を探す旅だ。一人で行ってもいいが、やはり誰か一緒に行って欲しいな~と考えている。

それから、名古屋に行くならついでに静岡にもお邪魔して現地でしか味わえない超超超絶品ハンバーグのお店「さわやか」にも行かねば。

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 ↓ 静岡・名古屋で食べまくった様子

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そうして旅行は感染者の減少や各都道府県の方針に従って行ったりはしたものの、年末になるにつれて急激に広まってしまったので当分は行けまい。

そのように生活の中心が「コロナ対策」に変わっていったので、家の中でどう過ごすかとか外出時は何に気をつけるかをじっくり考えて過ごしていたのは昨年とは随分違う年だったなぁという感じである。

 

あと1日1投稿していたのがいつの間にか1ヶ月に約1回投稿に変わったのはもう典型的な「三日坊主」である。ネタが無かったら無理に出さないのだが、そういうわけではない。毎日暗いニュースばかりで気が滅入ってしまった時に書いた日記ってなんだかダークサイドを感じるのだ。読むだけで疲れる。ということもあって頻度を減らしていた。

 

とは言え、そういうところも日記をつけるポイントかもしれない。起きた出来事だけじゃなくて自分の精神状態を知ることで「来年はもっと楽しくてハッピーな1年にしよう!」と何かしら対策できるかもしれないからだ。

ズーンと暗いままで過ごすのは性に合わない。楽しくやりたいのだ。

 

ちなみに私はかなりのおっちょこちょいなので日々色々やらかす上、ゲラなので一人でも楽しくなって笑っていたりする。

昨日なんか棚の上にあったサランラップを取ろうとしたらラップとホイルとクッキングペーパーが続けざまにゴン!ゴン!ゴン!とリズムよく頭に落ちてきたが、痛みと共に「なんでこんなドリフのコントみたいなことに(笑)」と一人で笑った。側から見たらどう思うか知らないが、私本人が楽しけりゃいいのだ。といっても怪我をしなかったから結果オーライなのである。決して痛いのが好きとかではない。

 

頭より上にある収納を使う時は面倒くさがらずに安全に取り出すべきである。あと反射神経が私のようにとてつもなく鈍いと避けられないので、大きな怪我をせぬよう鍛える必要がありそうだ。

などということは私が言える立場ではないが、みんな気をつけよう。

 

しかしながら、そんなしょーもないことで笑えるということは幸せへのハードルが低いということ。

これも一つの幸せの形だと言えよう!

そしてこれぞポジティブシンキングである。ゲラでよかった。

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最後に今年一年を表す文字を考えてみた。
世界的に見たら「菌」もしくは「籠」って感じだろうか。

個人的には「痛」である。特に背中。

 

今年一年中、背中が本当に痛かったし本気で困ったのだ。マッサージチェアーに乗ったら背中のコリに押し負けてガガガガガッと変な音を立てつつちっともほぐしてくれないし、マッサージしてもらってもほとんど効果ないほどのコリの塊。非常に厄介である。

 

来年こそは痛くない1年にしたい。

そして幸せな1年にしたい。

シンプルかつ王道な願いだし去年も似たような抱負を掲げていた気がするが、ストレッチや運動は大人になってからこそ習慣づけていかなけらばならないなぁと思う。

でないとまた毎日痛い痛いと嘆く1年になってしまいかねない。絶対にいやだ。

そしてあとは笑って過ごすのみだ。

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親友には会えないし、おいそれとお出かけ出来ないし、なんなら背中が痛くて動けないし。なんていう2020年はこれで終わり。

そんな一年の厄を払って、来年の2021年は元気いっぱい!◯ン◯ン◯ン!てな勢いで過ごしたいものだ。

 

 

 

作成者 背中の痛みを診てもらうため病院へ行こうと思うたびに治るので、体が意地悪してるんじゃないかと思うあかね